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田邊昭知社長の経歴がスゴい!息子が巣立って小林麻美と離婚危機?

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どーも、ポジだよ☆彡

芸能界のドンといえばバーニングの周防社長が真っ先に思い浮かんでしまう。

じっさいに「芸能界 ドン」でググッてみたら周防社長のキーワードがズラリ

芸能界で出世するにはこの人に認められないと

渡っていけないってウワサは本当なのかもしれない・・・。

じつはそんな大人物と肩を並べるくらい、

田辺エージェンシーの田邊昭知社長も相当ヤバいらしい。

堺正章、かまやつひろしらとともに結成した

『田辺昭知とザ・スパイダース』のリーダー兼ドラマー

としてみずから表舞台で活躍。

その後は営業の第一線に立ちながら管理職として部下のマネジメントも

求められるプレイングマネージャーとして裏方で才能を発揮、

独立して事務所を設立するなどプロデュース能力だけでなく行動力もハンパない。

駆け出しのタモリを司会に抜擢したりとそのセンスはピカイチ。

業界内でじわじわと地位を築いていったんだとか。

  • バーニングの周防郁雄社長
  • オスカープロモーションの古賀誠一社長
  • ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長

ジャニー喜多川の入院原因は老衰?病気の有無や引退時期について!

らとともに、いつしか芸能界のドンとして絶大なる権力者に。

妻・小林麻美との結婚生活にピリオドが打たれようとしてるのは

そんな権力者っぷりが私生活にも及んでるせいなのか、それとも!?

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プロフィール

田邊 昭知(たなべ しょうち)

生年月日:1938年11月15日(78歳)

出身:東京都

学歴:高千穂商科大学付属高等学校

出典:Wikipediaより

他人と間違われるなんて芸能界のドンも舐められたもんだね。

若い頃の写真がいくら村上春樹とソックリといえど、

Wikipediaにまで間違われるんだから・・・ネットなんて所詮そんなもんか。

”小説界のドン”との勘違いならまだマシか。ってそんな問題じゃないよね(笑)

ミュージシャン、俳優を経てビジネスの世界へ

1970年にマネージメントに専念するまでは

加賀まりこと映画で共演するなどミュージシャン以外でもマルチに活躍

人前で脚光を浴びつづけたい気持ちもあったんだろうけど、

裏方のほうがプライバシーを担保されやすかったり

うまくいけば金銭面でウマミを味わえるのも事実。

ホリプロから独立してあらたに芸能事務所(現・田辺エージェンシー)

をつくったのは他でもない。自分の才能をフル活用するのはもちろんのこと、

天秤にかけたときに裏方のほうがメリットが大きいと判断したからでは?

もともと人を引っ張っていくリーダー気質の持ち主。

人を束ねるアツい人望があるからこそ、おのずと金と人が集まって

会社の規模も大きくなっていったんだろうね。

タモリだけじゃない!所属タレントは大物だらけ!

赤坂にあったホリプロ内の一角を間借りする形でスタートした

芸能事務所「スパイダクション」。

1973年に「田辺エージェンシー」に改組後、親離れするかのように

ホリプロから独立。赤坂から麻布台へ事務所を移転後はさらに勢いが加速!

まだ駆け出しだったタモリを見出して芸能界の大スターに育てたりと

持ち前のプロデュース能力をいかんなく発揮。

  • 研ナオコ
  • 由紀さおり
  • 永作博美
  • 堺雅人
  • RIP SLYME
  • 道端ジェシカ
  • 清水希香
  • 夏目三久

など、ベッキー1人に頼りすぎて痛い目に遭った

サンミュージックなどと違い、

タモリ以外にも稼ぎ頭となりそうな超大物がズラリ!

収入源をひとつに頼らないリスクヘッジの基本もきちんと心得てるようで。

さすがドン。抜け目ないビジネス構造にもその片鱗がチラリ。

所属タレントと”できちゃった結婚”

当時所属タレントだった元歌手の小林麻美と

17年にわたる極秘交際の末にゴールインしたのが91年

『雨音はショパンの調べ』が大ヒットしたので当時を知る人も多いのでは?

そんなブレイク真っ盛りの歌手と事務所社長との電撃結婚ニュース。

さらに結婚発表のときすでに男の子を出産してたとか!!

当時まだ珍しかった”できちゃった結婚”とあって

世間に与えたインパクトもひとしお。

その後の”できちゃった結婚ブーム”にはずみをつけたようにすら思える。

さすが仕掛け人!先駆者であろうとする心構えが

予期せぬブームを作ってしまうのかも。

とにかく周囲におよぼす影響力はとてつもないものがあるのは間違いない。

別居生活で離婚危機?

奥さんの小林麻美が25年ぶりとなる芸能活動に踏み切ったのは一体なぜ?

キッパリ引退したはずなのに・・・まだ未練が残っていたと考えるべきか。

いや、今後の生活のことを考えると復帰せざるを得なかったのかも!?

結婚当初から”すれ違い生活”だった2人。

それでも子供が成人するまではどうにか持ち堪えよう

・・・そんな考えがあったように思う。

当の息子はみごと大手広告代理店に就職、

さらに結婚するなどしっかり巣立ったのを機に、

ひっそり耐えてきた夫婦生活にもピリオドを。

完全別居に踏み切ったのはそんな背景があるんじゃないか。

だとすれば、引退以降、夫に頼りきりだった金銭面も

自分で稼がなくてはどうしようもない。

ひしひしと湧き出てくる危機感が芸能界復帰へ

舵を切らせたように思えて仕方ない。

夫婦っていったいなんなんだろう・・・。

ポジっとな☆彡

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  1. 懐かしく  昭和41年頃 渋谷のハチ公で見かけた スパイダースが ブレイクした頃ウエスタンカーニバルの帰り世田谷と記憶するけどご自宅まで行った事がある 綺麗なお姉さんが いらして……加賀まりこさんと共演した映画も見に行きました 当時 加賀まりこさんが相手役に指名されたとの記事を見ました 今でも 現役で御活躍の事 私も見る目が有ったなと思い 懐かしく 思い出されます 
    益々のご活躍をお祈り致します 

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