どーも、ポジだよ☆彡
演歌界のリーダーに君臨する細川たかし。
演歌番組がじわじわ少なくなってきてる
現状でも彼の姿はよく目にする。
紅白歌合戦ではもはや常連となってるので
根強い人気を誇ってるんだろうね。
小さい頃は演歌歌手が出てきたら迷わず
チャンネル替えてたけど最近は
演歌特有のリズムとかテンポがたまらなく心地よくなってきた。
着実に歳を重ねていってるんだなぁ〜と実感する。
演歌の魅力にうっすらながら気づき始めた折、
細川たかしが『徹子の部屋』に出演するという情報が…。
今回はおもにテレビでは語られない部分に
ファーカスを当ててみようと思う。
スポンサーリンク
プロフィール
細川 たかし(ほそかわ たかし)
本名:細川 貴志
生年月日:1950年6月15日(66歳)
出身:北海道
身長:173cm
血液型:A型
出典:Wikipediaより
北海道といえば県庁所在地の札幌市がメジャーだけど
細川たかしが生まれ育ったのは虻田郡真狩村字桜川。
”あぶたぐん、まっかりむら、あざさくらがわ”と読むんだとか。
人口約2000人の小さな村の出身なんだね。
実家はじゃがいも農家で兄ひとり姉3人に囲まれた末っ子。
小学校のときから実家の農家の仕事を手伝うなど
将来の担い手として期待されてた様子がうかがえる。
少なくとも音楽活動にのめるこむまでは
両親もそのつもりだったのでは!?
じゃがいも農家ではなく歌手になりたい
中学の頃から演歌が大好きでその当時から
将来は歌手になることを心に誓ってたそう。
漠然とした夢しか持ちづらい現代社会。
早い段階で将来の夢をしっかり描けるなんてうらやましいかぎり。
井沢八郎の『北海の満月』を聞いたのが
歌手を目指すきっかけだったそう。恩人ともいえる存在だね。
じつは農家を継ぐつもりは当時からまったく考えてなかったそう。
じゃがいもといえば北海道名産なので
農家を継いだほうが将来安泰なのは確実。
多くの人はリスクのないほうを選びがち。
そんな大多数の考えを尻目に、
安定を捨てて自分の夢を追いかけたからこそ
大成功の今につながってるんだろうね。
[ad#co-1]
札幌の森進一
もちろん両親は歌手になることに反対だったとか。
理解を示してくれないのなら反対を押し切って出ていくしかない。
その後は夢を追い求めて札幌へ。
昼は自動車整備工の住込みの仕事、夜はバンドボーイ
として忙しくも充実した毎日を過ごすように。
その容姿と持ち前の歌唱力のおかげなのか
当時ついた呼び名は”札幌の森進一”。
地元で愛されてた様子がうかがえる。
不遇の貧乏時代を乗り越えてそしてついに…
芸能界のドン・バーニングプロの周防社長の
目に止まり念願のプロデビュー。
このエピソードから思うのは
自分の得意なことを発信しつづけてたら
必ず見てくれてるひとがいるという世の中の法則。
世の中ってつくづくよく出来てるなぁ(*´ω`*)
嫁と息子を残して上京
すすきののクラブ歌手から一転してメジャー歌手へ。
周防社長の一声でプロデビューが決まったのは
思いも寄らない嬉しい出来事だったはず。
そのいっぽうで細川たかしは内心悩んでいた。
厳しいプロの世界。上京デビューを果たすもいまいち
売れず札幌に戻ってきた音楽仲間も多かったそう。
さらに当時結婚して奥さんと子供も生まれたばかり。
家族そろっての上京生活は金銭的にも負担がデカすぎる。
悩みに悩んだ末、細川たかしはプロを目指して上京を決意!
奥さんの一声でふんぎりがついたそう。
後悔しないように行ってくれば
懐の広さをかんじさせる一言だね。
メディア嫌いなのか?奥さんも子供も写真はみつからなかった。
きっと奥さんは内助の功として、
息子はひっそり応援したいんだろうね。
カツラ疑惑の真相
歳を取るとどうしても頭髪が薄くなってきてしまう。
一流の演歌歌手としての称号は手にできても
自然の摂理には逆らえないようで…なんとカツラ疑惑が!!
正面からみるとそうでもない気が…
角度を変えて検証してみよう。
…でも、まぁ…人によって物事の捉え方は違う。
著者はカツラにみえるけどじつは
マイノリティの意見かもしれないし…
老後暮らしを考えて北海道に移り住んでるので
東京に置き忘れてきたとか!?
”心のこり”はないだろうか!?今一度確認をw
ポジっとな(*´ω`*)
[ad#co-1]
スポンサーリンク
コメントをどうぞ